サイトを続ける中で、肩書きや数字だけでは人は満たされないのだと、何度も感じてきた。ここでは、何が僕に「幸せだ」と感じさせるのかについて考えてみたいと思う。
肩書きや称号があっても、幸せとは限らない
肩書きや称号だけでは幸せになれない。だから、今の自分自身に肩書きや称号がなくても「自分はダメなんだ」「誰にも認められないんだ」なんて思う必要はない。そんなものは、どれも「おまけ」にしか過ぎない。いくらおまけを増やしたところで「その人自身」は変わらないからだ。
周囲を見てみると、良い学校へ行き、良い職場で働き、良い給料で、良い車を持ち、良い家に住んでいても、まだ満足できない人たちがいることがわかる。その一方で良い学校に行けず、職場も平凡で、給料も安く、車もなく、ごく普通の家に住んでいても幸せに暮らしている人がいる。
なぜ「持つ者」が満たされず、「持たざる者」が満たされるのか
他人から羨ましく思われるものを複数持っているなら幸せに生きていけそうな感じがするけれど、実際そういうことではなさそうだ。ではなぜ、このように「持つ者」がいつになっても満足できず「持たざる者」が満足できる状況が生まれるのか。
これは僕の考えだけど「自分にとって本当に必要なものを理解しているかどうか」で、幸せの量は大きく変わってくる気がする。
欲しいものが増えるほど、人は重くなる
無尽蔵に欲しいものを手に入れ、欲しいものという「重り」をどんどんつけていく。しかしそれは本当に自分が欲しいと思っているものではないのかもしれない。ただただ、周囲の人の羨望の眼差しを得たいがために増やしているだけなのかもしれない。自分にとって本当に必要なものかどうかを考えず、「これを持ってたら他人にチヤホヤされるから」という種類のものだ。
欲しいものも増やせば重い。身軽ではなくなる。
疲れる。
苦しくなる。
旅に出る時に大量の荷物を持っていくのは大変だ。それと同じでどんなものでも、それがたとえ便利なものだとしても、「たくさん」になるとただ持ち運びが大変になるだけだ。
大事なのは、自分に合った量を知ること
本当に自分が欲しいものは何か、今まさに必要なものは何か、逆にいらないものは何か、これらのことをよく考えて、自分に合った量に調整する。ポイントは「自分はどう感じているのか」に従うことだ。一旦「他人にどう思われるか」はシャットアウトする。
欲しいなら追えばいい。いらないなら持たなくていい
「良い学校に行く必要がない」と感じるなら、良い学校に行く必要はない。
「良い職場で働く必要がない」と感じるなら、良い職場で働く必要はない。
「良い給料は求めてない」と感じるなら、良い給料を得る必要はない。
「車はいらない」と感じるなら、車を持つ必要はない。
「持ち家は必要ない」と感じるなら、賃貸で十分だ。
でも逆に、
良い学校に行きたいなら、より学ぶことが必要になるかもしれない。
その積み重ねが、良い職場で働ける可能性を高めることもある。
そして、良い職場は良い給料につながりやすく、その先に車や家のような選択肢も増えていく。
多くを手に入れたいなら、できるだけ早い段階で「決断」して積み重ねていかないといけない。努力しないといけない。
でも、どれが正解なのかは誰にもわからない。どのように生きたら幸せになれるのか、これも誰にもわからない。
幸せは「所有量」では決まらない
重要なのは、肩書きや称号に自分の行動を左右させないことだ。なんでも欲しいと思わず「自分に合った量」を見つけて、幸せだと感じるタイミングを増やす。もちろん、すぐ幸せだと感じることはできないが、これは自然なことだ。
「おまけ増やし」に夢中にならず、自分をもっとよく見る。「持たざる者」でも大丈夫だ。
幸せは「所有量」で決まるものではなく「自分に必要な量を理解しているかどうか」で決まることだから。
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